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順位 サイト 件数
1太平洋戦争緒戦の日本軍の強さは米英軍の予想をはるかに超えていた 3034
2アメリカは当初、京都を原爆投下の第一のターゲットにしていた2137
3本能寺の変で信長の遺体が見つからなかったのはなぜか685
4「明治天皇すり替え説」を追う638
5日本人女性がポルトガル人やその奴隷に買われた時代590
6昭和20年8月15日に終戦出来なかった可能性はかなりあった〜〜ポツダム宣言7506
7特高警察の「拷問」とはどの程度のものであったのか471
8江戸時代になぜ排仏思想が拡がり、明治維新後に廃仏毀釈の嵐が吹き荒れたのか409
9幕末の孝明天皇暗殺説を追う365
10尾崎秀実の手記を読めば、第二次世界大戦の真相が見えてくる351
11東大寺戒壇院と、天平美術の最高傑作である国宝「四天王立像」327
12占守島の自衛戦を決断した樋口中将を戦犯にせよとのソ連の要求を米国が拒否した理由318
13日本海海戦で日本軍が圧勝した背景と東郷平八郎の決断305
14無人のキスカ島に上陸した米軍に多くの死傷者が出た事情……『キスカ戦記』を読む9287
15幕末の「ええじゃないか」は世直しを訴える民衆運動だったのか277
16徳川綱吉の『生類憐みの令』を悪法とする通説が見直されているのはなぜか252
17世界最大級の墳墓である「仁徳天皇陵」が誰の陵墓か分からなくなった経緯248
18世界は乃木率いる第三軍が旅順要塞を短期間で落城させたことを賞賛した235
19明治維新と武士の没落215
20唐の時代の正史では倭国と日本国とは別の国である〜〜大和朝廷の統一2213
21鉄砲伝来の翌年に鉄砲の大量生産に成功した日本がなぜ鉄砲を捨てたか209
22明治5年の修験道廃止で17万人もいた山伏はどうなった208
22坂本龍馬の妻・お龍のその後の生き方208
24朝鮮戦争の緒戦で北朝鮮軍が韓国領の9割以上を制圧できたのはなぜか205
25圧倒的に劣勢であった奉天会戦に日本軍が勝利できたのは何故か189
26島原の乱の最初にキリシタンは寺社を放火し僧侶を殺害した184
27フィリピンを征服したスペインに降伏勧告状を突き付けた豊臣秀吉182
28『明暦の大火』の火元の謎を追う180
29湖底に沈んだ「飛騨の白川郷」と呼ばれた合掌造り集落の話159
29鳳来寺の神仏分離と日本の百名洞・乳岩峡などを訪ねて159
31浅野内匠頭が江戸城・松の廊下で刃傷事件を起こした原因は何だったのか〜〜忠臣蔵1156
32なぜ中国大陸に大量の日本人孤児や婦人が残されたのか154
33台湾からオランダを追い出した鄭成功の大和魂144
34戊辰戦争で官軍は東北地方で乱暴狼藉を繰り返した133
34満州国にわが国が莫大な投資をして築き上げたインフラを掠奪した中国133
36乃木将軍は「愚将」であったのか132
36満州の民衆が関東軍を敵視しなかったのはなぜなのか132
38秀吉はなぜ「伴天連追放令」を出したのか〜〜その131
38ハワイ国王を援けられなかった明治の日本〜〜GHQが封印した歴史4131
40日本人傭兵を買い漁った西洋と東南アジア諸国の背景を考える128
41修験道の聖地・龍泉寺から天川弁財天神社、丹生川上神社下社を訪ねて127
42秀吉の「中国大返し」はどこまでが真実か〜〜本能寺の変123
43県名と県庁所在地とが同じ県と違う県の意味?と歴史122
44原爆・ソ連参戦の後も『ポツダム宣言』受諾に抵抗したのは誰か〜〜ポツダム宣言3119
45源義経が奥州平泉で自害したというのは真実なのか110
46尼港事件の大惨事を教科書やマスコミはなぜ伝えないのか107
46廃藩置県で明治政府は県の名前や県庁の場所をどういう基準で決めたのか107
48菅原道真が全国の天満宮で祀られることになった経緯100
49終戦後大量の日本兵がソ連の捕虜とされ、帰還が遅れた背景を考える95
50中国兵が綴った「日中戦争」の体験記を読めば、『南京大虐殺』の真実が見えてくる94
50松尾芭蕉と河合曾良の『奥の細道』の旅の謎を追う94
52「ハル・ノート」は、アメリカが日米開戦に持ち込むための挑発だったのか92
52明治期の日本にとって朝鮮半島はいかなる存在であったか92
54第二次朝鮮出兵も秀吉軍の連戦連勝だった〜〜朝鮮出兵90
54国内で徹底抗戦と言いながらソ連参戦後すぐに満州を放棄した日本軍〜〜ポツダム宣言890
56帝国陸軍の左傾化と阿南陸相の自決との関係〜〜ポツダム宣言989
57長篠の戦の武田勝頼公本陣跡から満光寺庭園、阿寺の七滝などを訪ねて88
58長篠城址と長篠の戦いの決戦の地を訪ねて86
59キリスト教徒に神社仏閣や仏像などが破壊された時代85
59島原の乱の一揆勢が原城に籠城して、どこの支援を待ち続けたのか85
61蘇我氏は本当に大悪人であったのか83
62仙台藩ほか東北諸藩は、なぜ「朝敵」とされた会津藩を助けるために薩長と戦ったのか82
63戦国時代に多くの農民が大名の軍隊に加わった理由81
64「宮崎県」が存在しなかった、明治の頃のこと79
65毛利元就の「三本の矢」の教えはいつの時代の創作なのか77
66「黄河決壊事件」の大惨事が教科書に記述されないのはなぜか76
66リットン調査団と国際連盟を利用してわが国を孤立化させた列強は何を狙っていたのか76
68全寺院を廃寺にした薩摩藩の廃仏毀釈は江戸末期より始まっていたのではないか75
68満州人が各地で独立運動を起こしていたことが教科書などで書かれないのはなぜか75
70本能寺の変で信長が無警戒に近い状態であったのはなぜか〜〜本能寺の変74
71坂上田村麻呂と清水寺73
72家康の生涯最大の危機と言われた「神君伊賀越え」の物語は真実か〜〜本能寺の変72
72なぜわが国は『シベリア抑留』の実態解明調査を怠ってきたのか72
74日本共産党が在日朝鮮人と連携し武装闘争に走った時代を忘れるな71
74関東軍が「暴走」したと描かれる背景を考える71
76織田信長が「桶狭間の戦い」に勝利した戦略を考える70
76後南朝の歴史は、なぜ闇に葬られたのか70
78島原の乱を江戸幕府はどうやって終息させたのか69
79ルーズベルトはなぜ黄色人種の中国を連合国陣営に残そうとしたのか〜〜米国排日1168
79徳川家康が、急にキリスト教を警戒し出した経緯68
79関東軍が満州を制圧し満州国が建国されたことを当時の世界はどう見ていたのか68
79鉄砲の量産に成功した日本が何故鉄砲を捨てたのか〜〜その268
83北清事変で北京制圧の後に本性を露わにした「文明国」の軍隊67
83龍馬の二番目の姉・栄はなぜ「龍馬伝」に出てこなかったのか67
85厳寒の痩せ地に移住した会津藩士たちの飢餓との戦いとその後66
85満州に関東軍が駐留していた背景を考える66
87長崎の原子爆弾の「不発弾」を、ソ連に差し出そうとした大本営参謀の話64
88武士であることを捨てた、弓の名人・那須与一63
89「大東亜共栄圏」の思想が広められた背景を考える62
90400年以上前に南米や印度などに渡った名もなき日本人たちのこと61
90大政奉還したあとの旧幕府勢力に薩長が内乱を仕掛けた理由61
92朝鮮戦争で、国連軍を勝たせないようにしたのは誰なのか60
92薩摩に敗れて捕虜にされた多くの豊後の人々は南蛮船に乗せられてどこへ向かったか60
92仏教伝来から神仏習合に至り、明治維新で神仏分離が行われた経緯を考える60
95南光坊天海は明智光秀と同一人物なのか…「光秀=天海説」を考える その259
95関東軍は昭和の初期からソ連の工作活動の重要な対象であった59
97廃藩置県カテゴリー57
97ソ連の『北海道・北方領土占領計画書』を読む57
97明治政府は士族をどう活用しようとしたのか57
97徳川家旧幕臣らが士族身分を捨てて開拓した牧之原台地57
101郡上八幡の歴史と文化と古い街並みを楽しんで56
101静岡に移住した旧幕臣たちの悲惨な暮らし56
103フランシスコザビエルがキリスト教を伝えた頃の日本の事〜〜その55
103『ポツダム宣言』を公然と無視し、国際法に違反した国はどの国か〜〜ポツダム宣言1055
103薩英戦争の人的被害は、英国軍の方が大きかった55
103なぜ資力の乏しい長州藩が、グラバーから最新鋭の武器を大量に入手できたのか55
107戦国時代に大量の寺社や仏像を破壊させたのは切支丹大名か、宣教師か54
108秀吉はなぜ朝鮮に出兵したのか〜〜朝鮮出兵53
108浄土真宗の僧侶や門徒は、明治政府の神仏分離政策に過激に闘った…大濱騒動のこと53
108フランスの指導により近代的陸軍を整えながら徳川慶喜はなぜ大政奉還したのか53
108会津籠城戦と鶴ヶ城落城後の動き53
112義和団の暴徒に囲まれ孤立した公使館区域の人々が如何にして生き延びたのか52
112西郷隆盛は明治新政府の初期の腐敗ぶりに涙した52
114神仏分離令が出た直後の廃仏毀釈の首謀者は神祇官の重職だった51
114薩長を支援したイギリスに対抗して江戸幕府に接近したフランス51
116「桜田門外の変」と、井伊直弼の死が長い間隠蔽された事情50
116『玉音放送』を阻止しようとした『軍国主義』の将校たち〜〜ポツダム宣言650
116日本人傭兵隊がシャムで結成され、山田長政が活躍した背景を考える50
116サン・フェリペ号事件と日本二十六聖人殉教事件を考える50
116『近衛上奏文』という重要文書がなぜ戦後の歴史叙述の中で無視されてきたのか50
121西郷との会談で江戸城の無血開城を実現させた勝海舟は西郷の遺児支援に奔走した48
121多くの朝鮮民衆が味方し勝ち進んだ秀吉軍〜〜朝鮮出兵48
123真珠湾攻撃のあとでわが国が対米宣戦布告をしたのは故意か過失か47
123謎に包まれた源頼朝の死を考える47
123伝説の美女・小野小町とその後の伝承47
126太平洋戦争カテゴリー46
126戊辰戦争で焼き討ちされる危機にあった日光東照宮〜〜日光東照宮の危機146
126前期倭寇は元寇の復讐だったのか〜〜倭寇46
126東北諸藩は薩長の新政府を嫌い、別の国を作ろうとしたのではないか46
13016世紀後半に日本人奴隷が大量に海外流出したこととローマ教皇教書の関係〜〜その145
130豊臣秀吉が死んだ後の2年間に家康や三成らはどう動いたのか45
132田沼意知の暗殺を仕掛けたのは誰なのか44
132明智光秀は何故信長を裏切ったのか〜〜本能寺の変.44
134GHQ情報部長が、日米は戦うべきではなかったと述べた理由43
134日光の秋を求めて憾満ヶ淵から田母沢御用邸へ〜〜〜日光観光その443
134共産主義に傾倒した陸軍参謀本部大佐がまとめた終戦工作原案を読む43
134白峰地区の林西寺に残された白山下山仏と、破壊された越前馬場・白山平泉寺43
138西郷隆盛はなぜ西南戦争を戦ったのか42
138水戸藩が明治維新以前に廃仏毀釈を行なった経緯42
138世界遺産の比叡山延暦寺の諸堂を巡って42
138島原の乱の「一揆勢」は、大量の鉄砲と弾薬をどうやって調達したのか42
138満州事変の当時、満州のわが国の権益を狙っていた国はどこだったのか42
143伊達政宗はいかにして幕府に対する謀反の疑いから逃れたのか〜〜慶長遣欧使節441
143貧家に生まれた岩崎彌太郎が三菱財閥を創業した経緯41
143兵力で優位にあったはずの列藩同盟軍は、何故「白河口の戦い」で大敗したのか41
143白虎隊悲話と会津藩士家族の相次ぐ殉死〜〜〜会津戊辰戦争41
147秀吉はなぜ「伴天連追放令」を出したのか〜〜その40
147赤穂浪士の処刑をどうするかで、当時の幕府で大論争があった〜〜忠臣蔵240
147アメリカ人が王朝を転覆させたハワイ王国の悲劇と日本〜〜GHQが封印した歴史540
147東大寺二月堂に向け毎年「お水送り」神事を行う若狭神宮寺を訪ねて〜〜若狭カニ旅行140
147ソ連占領下から引揚げてきた日本人の塗炭の苦しみを忘れるな40
147誇り高き十津川村の歴史を訪ねて40
153苗木藩の廃仏毀釈と、その史跡を訪ねて39
153『ポツダム宣言』を受諾したわが国は、連合国に「無条件降伏」したのか39
153熾烈を極めた「文永の役」でよく闘った鎌倉武士たち〜〜元寇39
156日本軍が真珠湾に向かっていることを知りながら手を出させなかったアメリカ側の事情38
156後南朝の皇子にまつわる川上村の悲しい歴史と土倉庄三郎38
156誰が安土城を焼失させたのか〜〜安土城跡と近隣散策記38
156激戦となった「二本松の戦い」と、二本松少年隊のこと38
160『ポツダム宣言』の各条項が決まるまでの経緯と公表後の日本の反応〜〜ポツダム宣言237
160島左近は関ヶ原の戦いで死んでいないのではないか37
160石田三成、小西行長、安国寺恵瓊らが捕縛され京都で斬首されたこと37
163日露戦争の原因となったロシアの朝鮮侵略をけしかけた国はどこの国か36
163家康のキリシタン弾圧と、キリシタン武将・宣教師らにとっての大阪の陣36
163イギリスとフランスにとっての戊辰戦争36
163大久保利通を暗殺した石川県の不平士族らは何を求めていたのか36
167明治の皇室と仏教35
167秀吉はなぜ「伴天連追放令」を出したのか〜〜その35
167昭和天皇の『終戦の詔書』の後も戦争が続き、さらに多くの犠牲者が出たこと35
167日露開戦を決定したわが国の首脳に、戦争に勝利する確信はあったのか35
167宣教師やキリシタン大名にとっての関ヶ原の戦い35
167シーボルトが記した「鎖国」の実態を知れば、オランダの利益の大きさがわかる35
173赤穂浪士の討入りの後、吉良上野介の跡継ぎの義周はどうなったか〜〜忠臣蔵534
173「二・二六事件」と中国の「西安事件」に垣間見えるコミンテルンの影34
173パリ講和会議で人種差別撤廃案を提出した日本とその後の黒人暴動など〜〜米国排日534
173生麦事件は、単純な攘夷殺人事件と分類されるべきなのか34
173関ヶ原の戦いの本戦で東西両軍はいかに戦ったのか34
173祖谷の平家屋敷と平家落人伝説34
173聖徳太子の時代にわが国は統一国家であったのか〜〜大和朝廷の統一134
180大航海時代の西洋と日本カテゴリー33
180フランシスコザビエルがキリスト教を伝えた頃の日本の事〜〜その33
180「牛若丸と弁慶の物語」の虚構33
180政府中枢にいてソ連に忠誠を尽くそうとした『軍国主義者』たち〜〜ポツダム宣言533
180陸奥宗光が条約改正を一部実現させた経緯について33
180スターリンの罠にかかって第二次大戦に突入したことをわが国から教えられた米国の反応33
180鳴門市とドイツとの100年を超える友好関係のきっかけを作った会津人33
180明治期の危機を乗り越えた東大寺33
180お龍は何故坂本家を飛び出したのか、お龍の言い分33
189http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-date-201204.html32
189西南戦争が起こる前の鹿児島県はまるで独立国のようだった32
189軍部や官僚に共産主義者が多数いることに気が付いた近衛文麿32
189日本軍の真珠湾攻撃で快哉を叫んだ米国黒人が少なからずいた〜〜米国排日732
189徳川家と共に静岡に移住した士族が記した「士族の商法」32
189徳川家光がフィリピンのマニラの征伐を検討した背景を考える32
189間宮林蔵は原住民の小舟で北樺太を探検し、海峡を渡って樺太が島であることを確認した32
189アッツ島、キスカ島を占領する目的はどこにあったのか〜〜『キスカ戦記』を読む132
189江戸無血開城の真相を追う32
189神仏習合の聖地であった竹生島で強行された明治初期の神仏分離と僧侶の抵抗32
199薩英戦争で英国の砲艦外交は薩摩藩には通用しなかった31
199慈眼堂、滋賀院門跡から明智光秀の墓のある西教寺を訪ねて考えたこと31
199日本軍の南京攻略戦が始まる前から、中国兵の大量の死体が存在していたのではないか31
199キリスト教国を相手に開国したわが国がキリスト教を禁止し続けた矛盾31
203日本人奴隷が大量に海外流出したこととローマ教皇教書との関係〜〜その230
203アメリカがGHQの中の左翼主義者の一掃をはかった事情30
203江戸幕末以降の危機を何度も乗り越えて、奇跡的に残された国宝・姫路城を訪ねて30
203飢饉がありながら、応仁の乱の10年間に土一揆の記録がないのは何故か30
203ペリーが持参した米国大統領の国書と、有力諸藩大名が幕府に提出した意見書を読む30
203『日本書紀』は、わが国が統一国家でなかった時代を記述している〜〜大和朝廷の統一330
209金閣寺と足利義満の野望29
209赤穂浪士に切腹を許した江戸幕府の判断は正しかったのか〜〜忠臣蔵3 29
209江戸幕府が赤穂浪士の討入りを仕向けたのではないのか〜〜忠臣蔵429
209家康の死後の主導権争いと日光東照宮29
209わが国を武力征服しようとしたスペイン宣教師の戦略を阻んだ要因は何か29
209江戸幕府の対外政策とキリスト教対策が、急に厳しくなった背景を考える29
209西軍の毛利氏と島津氏の家康に対する交渉力の違い29
209戦国時代がこんなに長く続いたのはなぜか29
217なぜ米国は日露戦争開戦当初から日本の勝利を確信したのか28
217お寺に「神棚」がある不思議28
219伊達政宗の天下取りの野望と慶長遣欧使節〜〜その127
219「高麗史」を読めば倭寇がエスカレートした原因が良くわかる〜〜倭寇27
221東大寺大仏のはなし26
221東京遷都のあとの京都の衰退にどうやって歯止めをかけたか26
221なぜ討幕派が排仏思想と結びつき、歴史ある寺院や文化財が破壊されていったのか26
221福沢諭吉は、どういう経緯で『脱亜論』を書いたのか26
221「弘安の役」で5月に出航した蒙古連合軍が台風に襲われたのは何故か〜〜元寇26
221全焼したはずの坂本竜馬ゆかりの宿「寺田屋」〜〜平成「寺田屋騒動」26
221昭和初期以降、わが国の軍部が左傾化した背景を考える26
221応仁の乱の前に何度も土一揆がおきた背景を考える26
221薩摩藩・長州藩の討幕活動に深く関わったグラバー商会のこと26
221洋服に陣羽織入り乱れる鳥羽伏見の戦い26
221なぜ韓国はいつまでたっても「反日」をやめられないのか26
221ペリー来航の目的と、その後幕府の権威が急速に失墜した経緯を考える26
221明治新政府の創成期は兵力も財力も権威も乏しく、いつ瓦解してもおかしくなかった26
221旧幕府の軍艦で脱走を図り、明治政府とは別の政権を誕生させた榎本武揚とその後26
221桓武天皇が平城京を捨てたあと、二度も遷都を行った経緯について26
236古代史カテゴリー25
236なぜわが国は安重根を犯人とすることで幕引きをはかったのか〜〜伊藤博文暗殺325
236『軍国主義者』や『青年将校』は『右翼』だったのか25
236室町幕府の弱体化を招いた『応仁の乱』はなぜ起こったのか25
236栄華を極めた藤原道長の晩年を襲った相次ぐ不幸な出来事25
236「奈良県」が地図から消えた明治の頃のこと25
242吉野の森林王と、闇の歴史である後南朝の史跡を訪ねて〜〜五條・吉野の旅その324
242英国船が沈没して白人が助かり、日本人乗客は全員溺死したノルマントン号事件24
242「文永の役」で蒙古軍を退却させたのは「神風」だったのか〜〜元寇24
242仏教伝来についての教科書の記述が書きかえられるのはいつか〜〜大和朝廷424
242天誅組の足跡を追って天辻峠から十津川村へ24
247聖徳太子についての過去の常識はどこまで覆されるのか23
247飛騨地方を舞台にした悪代官と義民の物語23
247昭和初期が驚くほど左傾化していたことと軍部の暴走とは無関係なのか23
247なぜ日系人だけが強制収容所に送られたのか〜〜米国排日823
247特高が送り込んだスパイに過剰反応した日本共産党23
247後鳥羽上皇が愛した水無瀬の地を歩く〜〜水無瀬から大山崎歴史散歩223
247江戸開城後に静岡移住を決意した旧幕臣らを奴隷同然に運んだ米国の船23
247天下分け目の関ヶ原の戦いの前に、家康はいかにして西軍有利の状況を覆したのか23
247江戸幕末におけるイギリスの対日政策と第二次長州征伐23
247万葉集で桜を詠った作品が少ないのはなぜか23
247江戸幕末期にお金で武士身分を獲得する相場が存在した背景を考える23
247攘夷論者が、実行できないことがわかっていながら「攘夷」を唱え続けた理由23
259朝鮮出兵カテゴリー22
259永禄10年に東大寺大仏殿に火をつけたのは誰なのか22
259盧溝橋事件の後で、なぜ我が国は中国との戦いに巻き込まれたのか22
259日露戦争以降、わが国は米国黒人の希望の星であった〜〜米国排日422
259日清戦争で日本軍は、陸も海も連戦連勝だった22
259日光の社寺が廃仏毀釈の破壊を免れた背景を考える〜〜日光東照宮の危機222
259戦勝国による「歴史の書き替え」が始まった22
259ミッドウェー海戦大敗後、キスカ島上陸に意味はあったのか〜〜『キスカ戦記』を読む222
259コミンテルンの工作活動を我が国の当時の新聞はどう報じていたのか22
259「鳥取県」の消滅から再置以降の時代と鳥取の不平士族の動き22
259悲しき阿修羅像 22
270廃仏毀釈などを強引に推し進めて、古美術品を精力的に蒐集した役人は誰だ21
270「満州某重大事件」の真相を追う〜〜その221
270関東大震災の教訓は活かされているのか その121
270伊勢の廃仏毀釈と伊勢神宮の式年遷宮に多大な貢献をした尼寺のこと21
274廃仏毀釈カテゴリー20
274戦争と共産主義カテゴリー20
274法隆寺再建論争を追う20
274日本人奴隷が大量に海外流出したこととローマ教皇教書との関係〜〜その320
274坂本龍馬の暗殺は誰がやったのか20
274坂本龍馬の暗殺は誰がやったのか20
274坂本龍馬の暗殺は誰がやったのか20
274日本百名城の一つである高取城址から壺阪寺を訪ねて20
274天誅組河内勢に関わる史跡と富田林市寺内町の美しい町並みを訪ねて20
283五條市に天誅組と南朝の歴史を訪ねて〜〜五條・吉野の旅その1 19
283奈良の文化財の破壊を誰が命令したのか19
283安土城を絶賛した宣教師の記録を読む19
283尾崎・ゾルゲらの一斉検挙とその後19
283光秀は山崎の合戦で死んでいないのではないか…「光秀=天海説」を考える その119
283鎖国前の台湾で、新参者のオランダの苛政に抵抗した日本商人の話19
283大友宗麟はキリスト教に接近し、洗礼を受ける前から神社仏閣を破壊した19
283キスカ守備隊員の手記による奇跡の完全無血撤退作戦成功……『キスカ戦記』を読む719
283艦隊乗艦員の手記によるキスカ島守備隊撤退作戦……『キスカ戦記』を読む819
283日本統治時代に近代国家に生まれ変わった韓国19
283吉田松陰はペリーを暗殺するためにポーハタン号に乗り込んだのか19
294北清事変から日露戦争カテゴリー18
294戦国時代の祇園祭を見た宣教師の記録を読む18
294討幕の密勅、大政奉還から王政復古の大号令までの歴史を振り返る18
294軍の圧力に屈し解明できなかった、中国共産党に繋がる諜報組織18
294ロシア革命後、ソ連はいかにして共産主義を全世界に拡散させたのか18
294なぜわが国が中国との戦争に巻き込まれたのか…興亜院政務部の極秘資料を読む18
294明治の初期に、鹿児島県で何があったのか18
294シーボルトはスパイであったのか18
294http://shibayan1954.blog101.fc2.com/page-1.html18
303倭寇カテゴリ17
303幕末期の出来事カテゴリー17
303占領軍の検閲は原爆を批判した新聞社の処分から始まった17
303「満州某重大事件」の真相を追う〜〜その117
303「ドイツと日本を暴走させよ」と命じたスターリンの意図17
303カリフォルニア州の排日運動が、日露戦争後に急拡大した背景を考える〜〜米国排日117
303スターリンが朝鮮戦争に米国を誘導したことを示す極秘文書が発見されている17
303学生や軍部に共産思想が蔓延していることが危惧されていた時代〜〜ポツダム宣言417
303島原の乱に懲りた江戸幕府はオランダに対しても強気で交渉した17
303関ヶ原の戦いの後の佐和山城と大垣城の落城17
303補給に苦しみながら敵の上陸を許さなかったキスカ島の兵士たち…『キスカ戦記』を読む417
303陸軍に破壊された鳥取城の城跡から神話の舞台となった白兎海岸へ17
303外国人に無着菩薩立像(現国宝)を売った興福寺17
303東大寺の大仏よりもはるかに大きかった方広寺大仏とその悲しき歴史17
317第二次世界大戦後カテゴリー16
317明治時代に参政権を剥奪された僧侶たち16
317国宝の新薬師寺本堂で12体の国宝仏像に囲まれて16
317GHQが日本人に封印した歴史を読む〜〜イギリスとインド・中国16
317尾崎秀実の手記を読めば共産主義者が軍部や右翼を自家薬篭中のものにした事がわかる16
317第一次大戦以降、中国の排日運動を背後から操ったのはどこの国だったのか〜〜その116
317なぜわが国にだけ原爆が落とされたのか〜〜米国排日1016
317ゾルゲ、尾崎らが一斉検挙に至った経緯について16
317江戸幕府がポルトガルと断交した後に海外貿易高は増加した16
317潜水艦によるキスカ島守備隊撤収が途中で中止された理由…『キスカ戦記』を読む516
317長州藩が攘夷の方針を改めた経緯16
317王政復古の大号令の出た直後に京都が戦火に巻き込まれてもおかしくなかった16
317淡路島の東山寺に残された石清水八幡宮護国寺の仏像を訪ねて〜〜淡路島文化探訪の旅116
317明治初期までは寺院だった「こんぴらさん」 16
331西郷隆盛カテゴリー15
331元寇カテゴリー15
331大正時代〜第二次世界大戦〜連合国占領期カテゴリー15
33118世紀から幕末期の欧米列強カテゴリー15
331源平の戦い カテゴリー15
331奈良西大寺から秋篠寺を訪ねて15
331明治期に潰れてもおかしくなかった清水寺15
331韓国皇帝が伊藤博文を「韓国の慈父」と呼んだ経緯〜〜〜伊藤博文暗殺その115
331日露戦争後のアメリカにおける日本人差別の実態〜〜米国排日215
331南京を脱出し多くの中国兵士を見捨てた蒋介石・唐生智は何を狙っていたのか15
331ゴロウニンを解放させた高田屋嘉兵衛の知恵15
331新緑の書写山・円教寺と、その「奥の院」と呼ばれる弥勒寺に残された神仏習合の世界15
331キスカ上陸後、すぐに米軍の反撃が始まった〜〜『キスカ戦記』を読む315
331キスカ島を目前にして撤収部隊は北千島に引き返していった……『キスカ戦記』を読む615
331後醍醐天皇を支えた武将・楠木正成にまつわる南河内の史跡を訪ねて15
331シーボルトが、なぜわが国が西洋列強に呑まれないように奔走したのか15
347西郷隆盛なくして、地方の権力と武力を中央に集める廃藩置県が可能だったか14
347坂本龍馬の暗殺は誰がやったのか14
347聖徳太子の時代に建てられた寺院がなぜ兵庫県にあるのか14
347大迫力の閻魔大王像に魅せられて〜〜水無瀬から大山崎歴史散歩314
347明治維新の魁(さきがけ)とされる生野義挙のこと14
347香住にある国指定重要文化財を楽しんで〜〜〜帝釈寺、大乗寺を訪ねて14
347農民たちが帯刀していた時代と秀吉の刀狩令14
347刀狩令の後も村に大量の武器が残されていながら、村を平和に導いた秀吉の智慧14
347滋賀県に残された神仏習合の景観などを楽しんで〜〜邇々杵神社、赤後寺他14
347消えた鶴岡八幡宮寺大塔など14
357豊臣秀吉カテゴリー13
357「キスカ戦記を読む」カテゴリー13
357大文字山の送り火のこと13
357アイスランドの火山爆発と天明の大飢饉13
357征韓論争は大久保が西郷を排除するために仕掛けたのではなかったか13
357播磨の古刹を訪ねて〜〜〜聖徳太子ゆかりの斑鳩寺と随願寺13
357日清戦争開戦前の5ヶ月間の動きを追う13
357日吉神社、大垣城、南宮大社から関ヶ原古戦場に向かう13
357軍部が情報を握りつぶした「昭和東南海地震」13
357徳川家康が大坂城を乗っ取り権力を掌握したのち石田三成らが挙兵に至る経緯13
367士族の行く末カテゴリー12
367大政奉還から戊辰戦争 カテゴリー12
367飢饉と戦国時代カテゴリー12
367中国人苦力を全員解放させた日本人の物語12
367幻の映画、「氷雪の門」12
367アメリカはいかにしてスペインからフィリピンを手に入れたか〜GHQが封印した歴史612
367伊藤博文を撃ったのは本当は誰なのか〜〜〜伊藤博文暗殺その212
367アメリカまでのびていたゾルゲ諜報組織の「赤い糸」12
367シーボルトと日本の開国12
367三国干渉に直面したわが国の外交交渉はいかなるものであったのか12
367長谷寺、宇太水分神社、片岡家住宅を訪ねたのち洞川温泉へ12
367三井寺の国宝・重要文化財観賞の後、非公開の寺・安養寺を訪ねて12
367近江八幡の歴史と文化を楽しんで12
367名勝猿尾滝から但馬・丹波の名工の彫刻が残されている古社寺を訪ねて12
367蒲生氏郷が毒殺されたという説を考える12
367明治初期、廃絶の危機にあった東本願寺12
383南北朝・後南朝 カテゴリ11
383坂本龍馬カテゴリー11
383GHQが日本人に封印した歴史を読む〜〜ペリー来航11
383幕末の動乱期にわが国が独立を維持できた背景を考える〜〜GHQが封印した歴史 311
383飛鳥時代から平安時代の大地震の記録を読む11
383義和団による暴動を、満州占領のチャンスととらえたロシア11
383石田三成の挙兵後、なぜ徳川家康は東軍の諸将とともに西に向かわなかったのか11
383わが国はいかにして第二次世界大戦に巻き込まれたのか11
383明治6年に越前の真宗の僧侶や門徒はなぜ大決起したのか〜〜越前護法大一揆のこと11
383わが国はどういう経緯で朝鮮半島を統治することになったのか11
383次々に廃寺となった奈良の大寺院11
383文化財を守った法隆寺管主の英断11
395丹波篠山の重要文化財・天然記念物を訪ねて〜〜磯宮八幡宮と大国寺10
395陥落直前に無責任にも南京を脱出した中国軍の最高指揮官が栄転したのは何故か10
395但馬安国寺の紅葉と柏原八幡神社の神仏習合の風景などを訪ねて10
395島原の乱平定の後も、わが国との貿易再開を諦めなかったポルトガル10
395レザノフを全権使節として派遣したロシアにわが国を侵略する意図はあったのか10
395紅葉を訪ねて播州清水寺から生野銀山へ10
395中国の史料では後期倭寇は中国人が中心だが、奴隷売買に関与はあったか〜〜倭寇10
395武力解決派の挑発に乗ってしまった徳川幕府10
395室津の歴史と、その古い街並みを楽しむ10
395日露戦争後に朝鮮半島を訪れた荒川五郎の『最新朝鮮事情』を読む10
395ヒカリゴケが群生する光前寺から飯島陣屋跡、西岸寺を訪ねて10
395鳥居は神社のものなのか10
407織田信長カテゴリー9
407米国排日カテゴリー9
407朝鮮半島情勢と日清戦争9
407黒船来航から開国へカテゴリー9
407満州問題カテゴリー9
407永禄9年にあったわが国最初のクリスマス休戦のことなど9
407白骨温泉から奈良井宿、阿寺渓谷を散策のあと苗木城址を訪ねて9
407「稲むらの火」の物語と安政南海地震の津波の真実9
407蒋介石はなぜ外国人居留地であった上海で日本軍と戦ったのか〜〜中国排日69
407「南京大虐殺」の真実を追う〜〜中国排日89
407GHQの中にもソ連の工作があったのではないか9
407自由党と立憲改進党が帝国議会開設を前に衰退した経緯9
407日光二荒山神社から国宝・大猷院へ〜〜日光観光その39
407播磨の国宝寺院の神仏習合の景観を楽しんで〜〜朝光寺・浄土寺9
407徳川幕府に「鎖国」を決断させた当時の西洋列強の動き9
407文化財の宝庫・室生寺とそのルーツを訪ねて9
407関ヶ原本戦の前日に、杭瀬川の戦いで西軍が大勝してからの東西両軍の動き9
407わが国で最初のキリシタン大名となった大村純忠の『排仏毀釈』9
407大政奉還のあと討幕派はいかにして王政復古に持ち込んだのか9
407蒲生氏郷が生んだ日野商人の豊かさ9
407幕府瓦解後に進行した江戸の荒廃と、政府転覆を目論む勢力の拡大を食い止めた東京遷都9
407ペリーが江戸を離れた翌月に4隻の艦隊を率いて長崎に来航したロシアのプチャーチン9
407ペリーの再来航と日米和親条約9
407鳥取砂丘から若桜町、『日本三大投入堂』の一つ不動院岩屋堂を訪ねて9
407日本三大山車祭の一つ、長浜曳山祭の歴史と子ども歌舞伎9
432http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-category-0.html8
432日中戦争カテゴリー8
432秀吉の死〜関ケ原前後カテゴリー8
432野球の殿堂入りした正岡子規の野球への愛情と奈良の旅行8
432蒋介石に外国の干渉を導くことを進言したドイツの軍事顧問団8
432関東大震災のあと日本支援に立ち上がった米国黒人たち〜〜米国排日68
432郡上一揆と白山信仰のゆかりの地を訪ね、白川郷の合掌造りの民宿で泊まる8
432古き日光の祈りの風景を求めて〜〜日光観光その18
432紅葉し始めた日光の輪王寺と東照宮を歩く〜〜日光観光その28
432高松塚から奈良県最大の廃仏毀釈のあった内山永久寺の跡を訪ねて8
432苔むした美しい寺・貞祥寺と島崎藤村ゆかりの中棚温泉8
432ペリー来航の45年前のわが国でロシアとの交易を開始する準備がなされていた8
432白山信仰の聖地を訪ねて加賀禅定道を行く8
432大飢饉の西日本で平氏や源氏はどうやって兵粮米を調達したのか8
432源平両軍の兵士による掠奪から民衆は如何にして食糧や家財を守ろうとしたのか8
432飯田市の観光を楽しんだのち、「満蒙開拓」とは何だったのかを考える8
432嘉永6年に行われたわが国とロシアの領土談判とプチャーチンの残した警告8
432大晦日の「年越の祓」と「除夜の鐘」8
432「こんぴら」信仰と金刀比羅宮の絵馬堂8
432一度神社になった国宝吉野蔵王堂8
432古代史 カテゴリー8
453http://search.yahoo.com/search?p=&toggle=&cop=&ei=7
453南北朝〜室町〜安土桃山時代カテゴリー7
453伊藤博文暗殺カテゴリー7
453中国排日カテゴリー7
453飢餓と土一揆の時代から応仁の乱 カテゴリー7
453日本統治時代の韓国とその後カテゴリー7
4533度目の高山と円空仏を訪ねて丹生川から平湯温泉へ7
453吉野山の世界遺産を訪ねて〜〜金峯山寺から吉水神社、水分神社、金峯神社7
453押収されたシーボルトの膨大なコレクションの大部分が返却されたのはなぜか7
453下呂温泉から国宝犬山城へ〜〜富山・岐阜・愛知方面旅行7
453米人弁護士が書いた日露戦争後のカリフォルニアの排日運動〜〜米国排日37
453『板垣死すとも自由は死せず』が広められた背景を読む7
453英商人に阿片を持込まれ、コレラ流行時に港で外国船の検疫を拒否された明治日本7
453二見ヶ浦観光のあと、明治時代の名建築である賓日館を楽しむ7
453ポーツマス会議のあと、講和条約反対・戦争継続の世論が盛り上がった事情7
453メキシコで歓迎されずスペインで諸侯並みに格下げされた〜〜慶長遣欧使節27
453源頼朝が挙兵後約2ヶ月で南関東を制圧し、その後争いが鎮静化した理由を考える7
453京北の常照皇寺と山国隊の歴史を訪ねて7
453暴れ川として知られる吉野川の流域を豊かにした阿波藍と徳島の伝統文化7
453祖谷のかずら橋7
453寺院が神社に変身した談山神社 7
474江戸時代 カテゴリー6
474平安時代カテゴリー6
474忠臣蔵カテゴリー6
474東京遷都カテゴリ6
474http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-category-85.html6
474http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-category-94.html6
474天平彫刻の宝庫、東大寺三月堂の解体修理6
474天誅組の最後の地・東吉野から竹林院群芳園へ〜〜五條・吉野の旅その26
474桂浜、坂本竜馬記念館を訪ねて6
474仁淀川町の安居渓谷から長州大工の名建築・河嶋山神社を訪ねて〜〜高知方面旅行36
474天神祭と大阪天満宮とあまり知られていないお寺のこと6
474日本三景「天橋立」の楽しみ方〜〜〜二年前の「天橋立」カニ旅行 その6
474「天空の城」竹田城を訪ねて〜〜香住カニ旅行36
474「おはぎ」と「ぼたもち」の違い6
474関東大震災の教訓は活かされているのか その26
474当時の米人ジャーナリストは中国排日の原因をどう記述しているか〜〜中国排日56
474強制収容所の日系人が米軍を志願した理由は何だったのか〜〜米国排日96
474虎なら無量寺の「龍虎図」、串本の昼は萬口の鰹茶漬け6
474石山寺の桜と、湖東三山の百済寺、金剛輪寺を訪ねて6
474湖東三山・西明寺から多賀大社、国友鉄砲の里を訪ね、長浜の茅葺の宿に泊まる6
474信州の諏訪大社を訪ねて〜〜諏訪から南信州方面旅行1日目6
474智識寺、荒砥城址のあと、修験道の聖地であった戸隠三社を歩く6
474田沼意次を「賄賂政治家」と貶めたのは誰だったのか6
474洛北の紅葉の名所を訪ねて〜〜実相院から圓通寺へ6
474又兵衛桜を楽しんだのち宇陀松山の街並みを歩く6
474吉野の山村から明治という時代を動かした、森林王・土倉庄三郎を振り返る6
474古代からの景勝の地であり和歌の聖地である和歌の浦近辺の歴史を訪ねて6
474日露戦争の頃から日本軍に好意を示した韓国民衆がかなり存在した6
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